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羽鳥湖高原のてっぺんで心豊かに暮らす。 豊田剛一さん・廸子さん

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年8月20日更新

15年前に天栄村の羽鳥湖高原へ移住し、蕎麦処を営みながらスローライフを実現している豊田さんご夫妻にお話を伺いました。

豊田夫妻の写真

 

自己紹介

剛一さん

東京都世田谷生まれで、小学生の時に西新宿に引っ越しました。世田谷では等々力渓谷や満願寺のあたりに自然がいっぱいあって、西新宿も今のビル群とは全然違う景色でした。自分は終戦の年に生まれたので、子供の頃は食べ物があまりない時代。お腹が減っているから皆で民家の柿の木からこっそり柿をとって食べたりしたね。その家の人も知っているけど子供がお腹減らしてるからしょうがない、と見逃してくれていたんだと思います。古き良き昭和の時代でしたね。

廸子さん

東京都渋谷区生まれです。初台や笹塚などで暮らしましたが、私も主人と同い年なので、子供の頃は貧しかったですよ。主人とは友人の結婚式で出会いました。その人の中学の同級生が主人で、高校の同級生が私だったんです。

ご主人の剛一さんは、サッカー選手を目指すほど高校・大学ではサッカーに打ち込み、卒業後はスポーツ・アウトドア用品の業界へ就職。結婚した後は夫婦のライフスタイルに合わせて東京都内や千葉県へと住居を変えながら2人の息子さんを育てあげました。子育てをしながらも、週末になると友人を誘って夫婦で大好きな山登りを楽しむ生活をしていたそうです。

移住のきっかけ

60歳になったら都会以外で暮らすことは決めており、以前から子供たちにも伝えていました。そんな時、私たち夫婦の大親友が急死したことが背中を押しました。仕事中に原宿の路上で倒れたのに誰にも通報してもらえず、搬送された時にはもう間に合わなかったと聞いて「東京は便利だが絶対安全ではない、だったらどこに住んでも一緒だ」と思うようになりました。

天栄村を選んだのは、実の弟が先に天栄村に住んでいた事が一番です。弟はペンション経営をしており、私たちも何度か天栄村に来ていました。移住先を探していた時には長野や山梨に加えて、天栄村も候補にしており、ある時ペンション村のてっぺんにある今の物件に出会いました。大自然、採光たっぷりの窓、周囲に家が無いこと、静かな事が気に入ってここに決めました。

手打ち蕎麦処ぼちぼち店内の写真

 

住後の天栄村での暮らし

天栄村に移住した当初は、周囲の散策を楽しむ生活をしていました。

そもそも蕎麦打ちは仕事にしようとしていたわけではなかったんです。千葉に住んでいた時に近所の隠れ家的な蕎麦店を教えてもらったら、そこが美味しくて!あまりに美味しそうに食べるから気に入ってもらえたのか、毎週日曜日の朝に教えてもらうことになりました。実際に手順を教えてもらったのは3回で、あとは見て覚えるという感じ。1年半くらい通って先生にお墨付きをもらい、福島に引っ越すと伝えたらめんつゆの作り方を教えてくれたんです。

天栄村に来てしばらくして、親しくなった別荘のオーナーさんたちに自家製の蕎麦のふるまいをしていた所「別荘地は外食するところが無いから、お店をやってよ」と勧められ蕎麦処『ぼちぼち』をオープンさせました。稼ぐことが目的ではなく、別荘のオーナーのためにやってあげようというコンセプトなので、営業は土、日、祝のみ。別荘が賑わうゴールデンウィークやお盆は1週間から10日続けて営業しています。

お店のない平日はのんびりと田舎暮らしを満喫していますよ。自宅の裏と、湯本小学校の近くに畑を借りて野菜を作っており、そこで採れた食材は自家用の他に店でも提供しています。移住するまで畑仕事をしたことがなかったのですが、畑で「あれ?おかしいな!?」と大きな声で言っているとね、近くで作業している地元の人がどれどれって来てくれるんです(笑)。しかも「こうやりなさい」ではなく、「自分はこうやっているんだよ」という押し付けない教え方がいいな、と思っています。

蕎麦料理お店の裏の家庭菜園

 

天栄村の生活でうれしかったこと

天栄村に移住してすぐ、羽鳥湖高原の交流促進センターで「かまっこ祭り」という雪祭りがありました。かまくらや雪像を作ったり、自衛隊が雪で大きな建物を作ったりするイベントでした。弟が実行委員になっていた事もあり、イベントを手伝った事がきっかけで地元のお歴々と密接な繋がりができました。移住して間もなかったのに、肩を組んで「兄弟分」と言われたことがとてもうれしかったです。

地元の人と仲良くなるきっかけはもう一つ、湯本地区の健康体操に週1回~2回通っていた事。先のかまっこ祭りで親しくなった方の奥さんも参加していて、その人が「今度移住してきた人だよ」と周りのお母さん方に紹介してくれました。最初は見慣れない人だという視線を感じましたが、数人と仲良くなるとクチコミで広がって、半年くらいで受け入れてもらいました。何気ない「お茶飲んでいきな」「野菜持っていきな」という声かけがとてもうれしいです。

 

天栄村の生活で大事にしてきたこと

ここは別荘地で、しかも羽鳥湖高原のてっぺん。何もしなければ誰も来ない場所です。その中で小さな店を立ち上げた事で、店が私たちにとって社会との窓口になりました。味にこだわり、儲けたいとは思わない、ここならではの自分スタイルの営業方法が今の生活の柱になっています。

大自然の中で生活してみて、ちょっとした自然の変化に敏感になりました。五感が研ぎ澄まされるという人間本来の感覚が何とも言えなく良いですね。ここは四季がはっきりしていて、風景が移り変わる中で本当に素晴らしい瞬間があるんですよ。ずっと都会で生活してきてそういった事を考える余裕が無かったので、自然を見るということは自分自身に余裕があるから出来る事だと気づきました。

64歳でスキーを始めたのですが、これまでスポーツ用品の業界におりプロ選手が周りにいたことで、遠慮して出来なかったんです。でもこちらに来たら、かっこつける必要はないんだと気づいて、やりたいことが出来るようになりました。

今、「心豊かに生きたい」「自然から学ぶ」というやりたかった生活ができていると感じています。

蕎麦打ちの様子緑の中に建つ店舗

 

天栄村の生活で大変だったこと

私たちの住居兼店舗がある場所の標高は1000メートル位。天栄村でも雪深さが一段と違う場所です。でも、家の前まで除雪してもらえるので、2人とも雪が大変だと思ったことはありません。

今後ですが、1人しか運転免許を持っていないので先々運転できなくなると大変ですね。ここは公共交通機関が通っていませんので。加えて、健康診断の体制はありますが医療体制が十分整っているとは言えません。年齢を重ねていく中でいざという時が心配だなと思っています。

今後の展望

移住して蕎麦店を開いてから15年が経ち、今2人とも74歳になりました。若かったらもっと色々やりたい事もあるし、ずっとここにいたいけれど、免許の返納や病気になった事を考えて、自活できる場所で暮らすことを検討し始めました。でも東京に戻りたいとは思っていないので、情報を集めたり天栄村の空き家情報バンクに相談をしたりしています。

天栄村の教育環境、福祉環境について

湯本地区にはブリティッシュヒルズ、ゴルフ場、スキー場があり、地域の利点を生かした英語・ゴルフ・スキー教室などの教育が充実していて自分の孫を通わせたいくらいです。そして子供が少ないからこそ皆が顔見知りで、地域全体が子供を育て教育している素晴らしい環境だと感じています。

福祉についてはご縁がないけれど、役場住民福祉課の職員さんは、近くに来ると立ち寄って声掛けをしてくれます。都会ではこんな事はやってもらえないですよね。行政との距離が近くてありがたいと思っています。

天栄村への移住を検討されている方々へのメッセージ

田舎暮らしで、自分は何がしたくて来るのかよく考えてほしいと思います。

移住した後については、田舎に住むなら後出しジャンケンは無し。先に自分をストレートにさらけ出す事で周囲に受け入れてもらえます。そして道端でもどこでも会ったら必ずあいさつをしましょう。

天栄村の雪は多くて大変だけど、雪は慣れますよ。

プロフィール

  • 氏名
    豊田剛一(こういち)さん・廸子(みちこ)さん
  • 職業
    自営業
  • 出身
    東京都
  • 世帯構成
    夫・妻

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