史跡
昭和57年9月1日
福島県岩瀬郡天栄村大字白子字中屋敷53
この神社は、磐根山の中腹にあります。今から、約千六百年前の仁徳天皇の頃、岩背国造建磐主命の遺体を龍ケ塚に葬り、のちに大山祇神の鎮座するこの社に、命の霊を合祀して板宮大明神と称し、広戸郷の鎮守としました。
南北朝時代(今から約六百五十年前)には、宇津峰山に陣をおいた南朝の北畠顕家が天下泰平の祈願のため、大里城主天花寺越中守を奉幣使として派遣した由緒ある神社です。
社殿の前にそびえ立つ二本のヒノキは、天文元年(一五三二)に社殿を再建した記念に藤原頼義が植えたとされる名木です。樹齢約四百七十年、高さ約二十八メートル、目周り約五・三メートルです。
現在の社殿は、昭和五十七年九月の豪雨により倒壊したため、同五十九年六月に再建されたものです。
各ページに掲載の画像・音声・記事の無断転載を禁じます。
Copyright © Ten-ei Village All rights reserved.