史跡
昭和57年9月1日
福島県岩瀬郡天栄村大字下松本字稚児橋54-3
この遺跡の前の道は、その昔、白河中街道といわれ、長沼町桙衝より大里を経て白河に通じる道で、そこの四辻に石橋が架けられ稚児橋と呼ばれていた。そばの小高い丘には今も数本の古松が美しい緑を誇っている。
今から約千三百三十年前の奈良時代に、大化の改新で中心的役割を果たした藤原鎌足が常陸国(現在の茨城県)の鹿島神宮参詣の際、陸奥国(現在の福島県)に二木ノ松という神木があると聞き、ここまで訪ねてきたが道に迷ってしまった。すると老松のかげから稚児が現れ、道案内をしてくれたので、以後、ここを稚児橋と呼ぶようになり、児渡ノ庄広戸郷の発祥の地となり、松本の地名の由来もここから生まれたといわれる。
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