(豊香島神社)建造
(津室館跡)史跡
昭和57年9月1日
(豊香島神社)福島県岩瀬郡天栄村大字宮ノ前49
(津室館跡)福島県岩瀬郡天栄村大字飯豊字春日山
豊香島神社は、飯豊地区の鎮守さまとして古くから崇められてきました。
神社の歴史は古く、文安元年(一四四四)、須賀川二階堂家の重臣、津室館二代館主浅賀但馬守守重が武運長久の祈禱のため、武運の神として尊崇される武甕槌命を祭神とする常陸国(現在の茨城県)の鹿島神社から分霊勧請して氏神としたのがはじまりといわれています。
天正十八年(一五九○)から村の鎮守として飯豊香島神宮と称し崇敬され、天和元年(一六八一)社殿を修築し鹿島大明神と改称しました。江戸時代末期の弘化二年(一八四五)本殿を改築して現在見られるような総ケヤキの春日造り、十二支のみごとな彫刻が施されました。明治三年(一八七○)三月より豊香島神社と改められ、現在に至っています。
豊香島神社北側にある津室館は、嘉吉元年(一四四一)に津室山に築かれた山城です。須賀川二階堂家の重臣、浅賀五郎左衛門の居城でしたが、六代目の守直の時、天正十七年(一五八九)、百四十八年間続いた名城も伊達政宗の軍勢に攻め落とされました。
館跡には江戸時代前期の延宝年間(一六七三~)の歌人藤原泰平が詠んだ「秋くれば 田にも畑にも 限りなく 瑞穂の結ぶ 飯豊の里」と書かれた歌碑があります。
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